仕事での価値創造ってなんだ?
新年から3営業日ですね。仕事したくない。
新年だから(おめでとうございます)、まだ寒いし。冬眠。
去年一年書いてなかったけど、今年は一月にブログ始めと言う事で。
価値創造。いやー、良い言葉ですね。金が生まれるってのは。
で、それを社会人、従業員の立場として、あなたは成してますか?
知らん。
お仕事ってあれでしょ? 何かわからんけど目の前にタスクがやってくるから、それをこなすとおちんぎんが貰えるやつ。
えっ? 違う?
会社として社会への貢献のため、労働力であるとかプロダクトで世界に貢献していくと言う事?
いや知らん。
それは会社として、会社員が考える事なのでは?
とかやり始める時期、人事考課のお時間。
いやほんと、自分が参画してるプロジェクトでの売り上げとそれに占める自分の割合(損益)も知らないしさ。それで会社に貢献する目標とか言われましても、目の前の仕事をこなします、以外ないのよ。
特に自分の会社は、上で方針決めて(黒字になるように)それのノルマ必達! みたいなやり方しかしてないからなぁ。それで利益出てるんでしょ? なら良いやん、以外無いのよね。
だから適当にプロジェクト参画数増やして頑張りまーすとかしかないのよね。
目標って、自分である程度決められる決裁権持ってる人とか、俺がやってやるぜ! って気概で要領良く仕事終わらせた後にプレゼン資料作れる人はあるかもしれないけどさ。
もうちょっとこう、ただのパンピーの事も考えて欲しい。
社員一人一人が考えて、能動的に動ける会社へ! ってのは良いんだけど、それは世代交代してからにして欲しいなーと思うこの頃、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
私は今年も適当にプロジェクト参画数増やして、資格勉強だけします。
会社は会社の人が考えてもらって良いですか?
こちらは日々の仕事の事を考えますので……それらは連結してます! とか知らん。そう見せろ。
お出しされないと食べれない。
いきなり厨房に入ってきて台所事情見る奴いたら追い出すでしょ?
SNSの変遷に対する理解
記事見て、TwitterとかのSNSがどう変化してきたのか、なるほどなーとなったので自分の言葉でまとめておく。
機動戦士ガンダム #水星の魔女 第三話 コミュニケーションツールアニメ - 玖足手帖-アニメブログ-
水星の魔女がコミュニケーショツールとなってるって話が出てきたけど、そいや最初の頃のTwitter(で私が構築してたTL)はネームバリューがある人のツイートとか見る物だったなぁと。
今は(多量の広告と)話題の何かを見るのと、その反応(こちらの方が広告に次いで多数派)を見る場所になってきたなぁ。
リアクション芸見てる感じ。
よくよく考えれば、Togetterとかはその最たる例だし、spaceとかもどちらかと言えば、ツマミにする系のもの。
長くTLに居させて広告見させる必要があるから、そういうコミュニケーショ取れる場所に変遷したってのはあるんだろうけど。
でも確かに昔よりはTLに寄りついてるのは、ネームバリューとか関係なしに「ツッコミどころ」とか、何某かの瑕疵を見てやいのやいのやってる感じなので、昔の発表会的な場から、井戸端会議に移った感じ。
どちらかといえば昔から井戸端会議的に使ってたツールではあるんで、自分は違和感ないんだけど、俗だなぁとは思うし、馴染む、実に馴染むぞとはなるけど、肩までズッポリとは行きたくなくなったなぁと。
だって、無限にリアクション芸してたら、疲れるしねぇ。
となると、次はメタバースじゃねぇな。
行けば会える、人と話せるが良いのに、金かけてまでやらんでしょ。
完全に人の出入りが監視されて、外でのコミュニケーションが監視される世界になったら、逃げ道として流行るかもね。
(詰まるところTwitterとか Instagramとか各種コミュニケーションツールが全部使えなくならないとメタバースなんて夢どころか塵芥かもね。初期投資がスマホかPCだけ。メタバースはそれなりのスペックとかHMDとか高額で、今の経済的に流行らないでしょ。夢があろうがなかろうが、金の無さの前には無意味だ)
20221024追記
お給料出た
ではなく、マンガも同じ憂き目にあっていた模様。
数年前に学生と話した時に『漫画はYouTubeなどに比べてコミュニケーションに使うにはコストが高い』と言われた話 (2ページ目) - Togetter
結局のところ、作品を享受するとかではなく、自分自身にとって有利かという観点しか無くなってる。
この、普通の人の無差別搾取からはマイノリティゆえに逃れられないので、つくづく「一般人が来ると面白くなくなる」を思い出させられるなぁ。
(普通の人は、自分自身が他人とコミュニケーショしたりするために文化を使うから、オタク的な文化がいかに楽しいかの話が洗い流されてしまいどこもかしこも自分語りが目立ち、そこじゃないんだよなぁと中身を語りたい人たちは流浪の民になる。という話の事)
なんでドラえもんを真似なかったのよ、ゲーム部プロジェクト
1クールアニメが多い中、ご長寿アニメとしてのドラえもん大変革は2005年(もう14年前かよ……)の声優交代。
主要メンバ全員が一度に変更という光景は、他にサザエさん、クレヨンしんちゃん、ちびまる子ちゃんなんかでないと起こり得ないイベントだろう。
国民的アニメと呼ばれるやつだけだ。
(とはいえ、アレのせいで踏み出せなくなった感もあるが)
当時は高齢化による納得、諦めもあったけど、やはり反発も多かった。
なんせドラえもんが新人さんだったしね……。
イメージもガラリと変わったし。
ただ、十年一昔ということで、もうあの頃の騒動はどこへ行ったのかという感じ。
南極舞台の映画も、公開前のアート、公開後のクトゥルフ感と、結構話題になってたし、やっぱドラえもんってつぇーわ。
とか考えると、今回のゲーム部プロジェクトの件、本体の会社に意気込み、気概、何もなかったんだろうなという感じ。
隠すように動く。
声は似た人を抜擢。
それも正式発表までに2回も。
下火にならず、むしろマイナスになってからの発表。
さらっと残り二人も交代宣言。
これが登録者数激減の中でなく、社長や会社の変な理念、宣言文言もなく、全員並んでただ卒業発表だったら、まだマシだったんじゃないかと。
こういう発表の仕方したら、結局体質改善なんてできてないんじゃないかと勘ぐられたり。
この続きで入ってくる人も評価リセット、ゼロベースで見られることはなく、延々と比べられ続けるなどなど。
どこ見ても全方位やっちまったなリリースで、先達に学んでれば多少はどうにかなったろうにと思う。
十年一昔とは言うが活動一年程度で、今後十年経たないと昔と言えないとか、これは前途多難どころで済むんだろうか。
ネットユーザーが飽きっぽいことは証明されてるので、一年一昔ぐらいで済むと良いですねと、お祈り申し上げます。
(ところで、別の人達も入れるみたいですが、そっちもどうせ、何でしょ? 知ってる)
立川シネマシティのシネマ・ツー c studioで極上爆音を悔いなく楽しむ席
最近になってようやく6回目ぐらいのc studioだったので、そろそろこっちも記事化。
(初回とかに見に行くと、人の沢山入るa studioだったりするので、なかなかcに縁がなかった)
上記の映画館、2つある建物のうち、モノレール沿いのシネマ・ツーにある「c studio」の話。
なお私見。プロがガッツリ監修している極上爆音・音響シリーズ。
極端に壁側、後ろ側でもなければ大抵の場所は満足できると思うので、こだわり過ぎて予約が中々取れないとかないように・・・。
見たい時が見時。
■スピーカー的に最適なのはF・G列
c studioにはスクリーン左右、スクリーン下、左右壁面にスピーカーが設置してある。
(真後ろ未確認。最近は至る所にあってほんとびっくりする。11chってなんだよ)
スクリーン近くの物は真ん中の方にいれば大体はOKなので(後ろにあったとしても真ん中の方ならOK)注目するべきは左右壁面のスピーカー。
真横からの音を正確に拾いたい場合、この位置をしっかりとっておくとよい。
c studioはそれがF・G列になっている。
壁面スピーカーの真横担当はおそらくF・G列の横にある左右壁面スピーカーの2個目(スクリーン側から数えて)だと感じている。
会話劇系は別にこだわる必要はないだろうけど、アクション物とかホラー物なんかはこの2列を狙ってみると良いと思う。
■映像的にはH列も視野に
椅子に深く座り、背もたれに体重を預ける。
そういう姿勢で映画を見ることになると思うが、この場合はH列まで入れて良いと思う。
ちな、当方は席から頭が少しはみ出るぐらいの座高なので、身長高い人はもう少し前後するかも。
その辺は過去の映画視聴経験から上手く導いてほしい……。
(少し後ろの方が見やすいんかね、そういう人は)
■さぁ、予約しよう
という感じで、ざっくり2点に絞って記事化。
以前にa studioも記事化しているので、そちらも参考に、立川シネマシティで良い映画ライフを!
(結構昔の作品、Hit作の再上映とかで極上シリーズやってるし、定期的にチェックするのお得)
↓a studioの話
カメラを手放す あれは撮るものではなく、見るものなんだな
友人に譲ってもいいかも。
■写真は「見る物」だったと知る
GoPro6とオリンパスのO-MD E-M5 mark2を所持しているけど、どちらも手放す事に。
写真や動画なんかは、今後スマホですかねぇ。
理由として、別にスマホで十分とかって話しじゃない。
GoPro6の手ぶれ補正とか、E-M5の携行性なんかはとても気に入ってる。
自分にとっての「撮りたい物」は十分に納めてくれてた。
でも、写真って最終的には「見るもの」であって「撮るもの」ではないってのに、ようやく気づいた。
どう撮る、どう切り出す。
今の風景の最良の残し方は。
あの笑顔を切り取るためには。
経過として色々考えるけど、最終的には「後から見たい物を残す」ために撮る物なんだね。
Instagramとかも、撮るの主体ではなく見る主体だなぁ、確かに。
そこを勘違いというか、あまり意識した事なくて。
子供の頃から写真は誰かがパシャパシャしてる物って認識で。
行為やカメラよ機構とかの方にフォーカスしてて。
修学旅行とかで、廊下に写真が張り出されて購入できます、みたいな。
あれの意味が全然わからなくて、自分から買ったことがない(親が何枚か自分の写ってるもの買ってきなさいと言うから買ってた)。
そんなだから、親がアルバム作ってても見返すことはないし。
学校の卒業アルバムも写真部分はどうでも良くて、文集とか、巻末の在学中に日本であったこと年表みたいなのばっかり見てた(一応自分の写真もあった筈。ギリギリボッチではなかったし)。
そんな自分が今回の所に行き着いたタイミングがあって。
友人の結婚式の写真とか、なんかの旅行の写真とかを共有してたとき。
別にそれは誰かに見せるというよりは、他人は写真を所有するもの、って意識があったからそうしてただけで。
で、ふとした時に「写真って成果物なのか」と、たまに啓示のように落ちてくる思考がやってきて。
仕事と同じだなと。過程は、まぁ、早ければありがたいけどその程度。まずは成果物が欲しいよなぁと。
ただ、そうは思って理解はできても、出来上がった写真を見る、見返すって自分の中では特殊な行為なので定着せず。
だからって撮る行為まで辞める必要はないんだけど、撮る行為だけならスマホでもボタン押すし、シャッター音するし、写真取れるし。
とか考えると、専用機まで保有して、保管に気をつけてーとかやるコストがもったいないな。
とか考えたので、まぁ、さよならバイバイですわ。
文化の最終的な受け取り方、子供の頃に学んだほうがいいものなのかもなー。
PCのスペックが徐々に落ちていく問題
気付けば、i5 メモリ8G SSD256 GPUはCPUの内臓で十分 な感じでもオーバースペックになりつつある。(ただしChromeオメーは駄目だ)
いや、重い作業をしなくなったからなんだけど。
昔は動画エンコしたりゲームしてたので、基本的なところのスペックが一番重要だった。
つまりは、今はそれらをやってない。
これは、忙しいから出来てないのか、興味がなくなったからやらなくなっただけなのか。
多分スマブラSPECIAL出れば分かるだろう(配信したくもある