板書は付きまとう

思いついたことのメモ帳として使ってるので、役に立つ人とは友達になれそう

やりたいことなんざ掃いて捨てるほど有るけど無い

■幸せ探しとか楽しいとかって、普通は蓄積しないよね

声優魂関連でインタビュー記事があったので。

■そんなものはない

いやホント羨ましい。・・・・羨ましくない?

考えるのが苦手なんだろうから、これもそう(あんまり考えない部類の話題ではあるけれど)なんだけど、普通の人って物凄く「幸せと不幸せの差」みたいなのがわかってるんだろうか。

定量的な、そう、睡眠不足と目覚ましなしで起きた朝、みたいな比較ではなくて。

・・・って状態で、反対に曖昧な幸せと不幸せの定義が浮かばない。

結局は何かに根ざした、行動とか物とか感情とかに左右される心の動きが「幸せ・不幸せ」なんだろうか。

でも、そんなもん、長続きしないよなぁ。

例えば、車を買いました。載ってる間は楽しいし便利だし素晴らしいよね、幸せ!

でも、降りてしまえば幸せを味わうこともなく、むしろ毎月お金がかかり場所も取るし邪魔だよね、なければどれだけ贅沢できるんだよ。不幸! みたいな。

そして、そのどちらも、日常で車を思い出さないと感じない内容だよなぁ。

話がまとまってないな。

つまるところ「意識・認識・五感で感じている間のみ、何かについての幸せ・不幸せを感じる。それは一瞬かもしれないし陶酔している間はずっと続くのかもしれない。けれど、そのどちらであっても意識が常に集中することはなく、どこかのタイミングで意識の外に外れ、幸せ・不幸せは消えてしまう」はず。

思い出したかのように、って言葉の通りの感じ方しかしない筈だよなぁ。

幸せ・不幸せって。そんな、続くことのない物を追い求めてどーすんだろう、ってのがよく分かってないのがまずいのかなぁ。

■楽しサミダレウチ

 でも、だからこそあれもこれもって求めるのかなぁ。

煩悩ってやつか。

意識の外に出てしまうと消えてしまう幸せなら、常に意識の中に幸せ成分があればいい。

仕事が楽しい、ご飯が美味しい、おやつも美味しい、ちょっとサボってネット見るのもいいね、帰りに一駅歩いてたら夕焼けが綺麗だった、家に帰ってきてホッとする、周りには好きな本や音楽がたくさん、テレビを付ければ賑やかしもある、ネットの向こう側は広大な場所で知識欲も満たされる、今日は早く帰れたしねる時間も多い、少し筋トレしようかな、明日の朝は懸案事項が片付きそうで良かった。それじゃあおやすみ。

みたいに、起きてから寝るまで、ありとあらゆる「多数の幸せで楽しい事」で埋め尽くせば、常に幸せである、とは言える。・・・言えなくない?

アレもコレも、目に入る物全てを手に入れて、友人とはSNSで常に楽しい会話、ツイッターで匿名の人と話すのもいいよね。みたいな。

コミュニケーションも含めて、もう全部が全部、とにかく幸せで楽しいこと尽くめにしておく。

■暇麻痺

でも、そんなのもいずれは新陳代謝しなくちゃ飽きてしまう。

飽きたら、そこから感じる幸せで楽しいことの総量は減ってるかもしれない。もしかしたらマヒしてるだけで、量は減ってないけど強度が弱い?

とか考えると、この頃のブームの切り替わりの早さとかも、そうでしょうねって感じではある。

お客様は神様です(お金くれるし)。だからこそお客様に沢山の幸せを受け取ってもらって(対価を)頂くため、常に最新の刺激を用意いたします。みたいな。

おう、ただのサルか何かに餌付けしているようだ。

贅沢覚えたら人を襲ってでもいい物食べようとするぞ。

でも人間だから襲わない。その代わり金とか時間とか労働力を対価にする。

・・・って考えると、やっぱこのサイクル(マヒしていくまでの流れ)は人間として正しいな。

堕落人間と呼ばれるかもしれないし、これは普通の事で追求するのは一般的なことだよって話でもあるかもしれないな。

 

でも、だとしたらわかるわ。

延々と艦これでレベル上げしてる時は効率考えてひたすらにレベルあげようとしてるもんな。

そうか、あれが幸せなのか。

なら、俺の幸せは艦これできる環境を維持することで保たれるのか?

(投げっぱなしで終わり(落ちが付けられないのは努力しないとなぁ))