板書は付きまとう

思いついたことのメモ帳として使ってるので、役に立つ人とは友達になれそう

たまに本屋へ行くと、圧倒的な物の質感に気圧されるね(と、本屋でわかった漫画村の事)

いえ、ウス異本は買ってるし、その途中で本屋の中には入ってるんだけどさ。

いざ文庫を買うぞ! って気分で見に行ったら、びっくりするよね。

 

本屋ってすっごい不思議。

最近は総合雑貨系のお店しか行ってなかったのもあるんだろうけどさ。

同じ物が、所狭しと並んでるわけだ。

同じような大きさで、材質も同じような物で、カラフルで、文字が一杯。

凄い世界だ。辺り一面雪景色。みたいなのを特別な、非日常的な風景として観る感性をしているんだけど、気づけば本屋もそうなってた、自分の中で。

 

おおよそKindleに移行して3年ぐらいが経ってるはず。

理由は「物理的な場所の問題」で、ぶっちゃけ独り暮らしの部屋で買い増す家具が本棚と本棚代わりのメタルラックと本棚と本棚。みたいな感じになってしまったのが原因。

親元に置いておけば良いんだけど、自分の部屋とかとっくのマックに消失しているので、置き場所がない。

なので、積本とリピ本以外は売ったりなんなりして、物を減らす運動中。

9割の本を読み返したりしないしね、私。

 

でもね、Kindleにも弱点というかいじめ問題みたいなのがあって、電子書籍が本より発売遅いとかいう出版社はほとんど生き残る戦略も戦術もナシにいい本さえ作れば買ってもらえるなんて幻想で生きてるし売れないのはさも作家のせいみたいに言うクソ根性なし考えなし野郎共のただの腐った意地みたいな何か悲しい現実があり、本当に欲しい作品は本と電子の2種類買う。

 

でっ、今月欲しい本が出たので、ちょっと買いに行ったわけ。

そしたら久々だったので、本屋=異界というのをすっかり忘れてた。

 

単一の目的「読まれる」を待っている物体

似たような内容が、ジャンルごとに「濃縮」されている感覚

全ての表紙、背表紙がこちらを見て「読んで・・・見てぇ・・・・」って言ってくるような錯覚。

指向性が同じだから、圧がすごい。

そんな中、欲しい本を探し、見つけて手に取る。するとその隣には似たような作品たちが「ドヤァ・・・どやぁ・・・」って営業仕掛けてくる。

偶に感性の方向性が一致しそうな奴を手にとって眺め、いや違うお前は本命じゃないと置くが、後ろ髪を引かれる。

違う、後ろ髪にひっついている感覚。

 

異界なのを忘れていた。

あそこは純粋な指向性が束になって襲い掛かってくるのだと思い出した。

昔はその束から自分に合った物を掘り出すのを楽しんでいたが、今は少し向き合い方が変わった感じだ。

もっと手前で選んで、ネットで注文すればその本だけがベルトコンベアで運ばれてくるような感覚。

 

どっちが良いとか悪いとかじゃないけど、一度別の空気に慣れると、昔の普通が今の異常になったり。

そんな雰囲気を味わった。

週末、そんな異世界探検するのも良いかもなぁ。

 

 

ところで、本屋でわかったこと。

ネットで無断アプされてる本が一杯あるってのが話題になったよね。

いやいや、町中にもあるじゃないですか。

一杯居ましたよ、今日行った本屋にも、無料で本を読んでる人。

ネットの気軽さと、DLすると所有できる点がまずいのかもしれないけれどさ。

シュリンクしてない、全部内容がみれちゃう状態の本屋、こっちをヤバイって言わないのも結構異常だよ。昔からの慣例ってだけだし、やめるべきだと思うな、平台陳列。

「いやいや、そうすると中身を読めなくて買うのが博打になっちゃう」

とかそういうのは無しな。

他のものだって、少なくとも全てを買う前に認識できることなんて無いんだし、本だけ特別とかクソ理論だわな。

そうすると売れないも論外だよなぁ。

そうしなくても売れるように宣伝したら? という。

他の業界と出版と、何が違うのか。どうも文化という言葉に乗っかれる分野は、気づくと高飛車お嬢様みたいになってる時がある。

どう現実に寄り添うのか見ものだなぁ・・・。