三十帖冊子の一文字がメチャクチャ頭に残ってる
上野の東京国立博物館で開かれてる「仁和寺と御室派のみほとけ ― 天平と真言密教の名宝 ―」になんとか行ってきた。
直前になってから、土日両方仕事だからとアンブッシュするのはNG。
ほんと、ほんとNGなんだよぉ・・・
でっ、お目当ては仏像と物販、それと三十帖冊子。
この記事は三十帖冊子について、そこに記載されていた一文字について書いておく。
そも、親が真言宗なので、年始は川崎大師に行きますとか、子供の頃から弘法大師空海の話をされてるとか。
そうして殊更知ってる人だったので、直筆の書が展示されますってなりゃ気にならないはずがない。
ので、期間限定の展示期間に間に合うように調節。なんとか展示が見れる時間に仕事を上げて上野に突入したのだ。
展示場所は比較的最初の方にあった。
エリアが書・絵図と仏具・仏像の順に区切られていたからで、書に分類される三十帖冊子は比較的最初の方に展示されていたという。
目玉展示は最後の方とか中間にあったりするから、もう見れるのかと少し驚いた。
最初の方だけあって来場者はまだまだ興味津々。
疲れもない状況なので滞在時間が長い。必然、黒山の人だかりみたいになっていた。
それでも最初から順に見たかったので、待ちながら展示前へ。
(列を作ったりしなくてもいいと係員さんの発言があったり、立ち止まってもOK展示だったりして、ちょっとカオスな状態でもあったが)
数分で展示前に行けたので最初のやつから見ていったのだが、そこにある文字の多様さよ。
複数人で書いたらしいけど、ほんと色んな人の文字が残ってる。
5mm程度しか無いような小さく線の細いカチッとした書体があれば、もう少し太めの流れるような書体もあって、見ていて楽しい。
空海直筆は結構最初の方から展示されてて、書体はどちらかと言えば後者。
でも、偶にすんごいキレイな字が出てくるの。
太めではらいがダイナミックな字が出てきたかと思えば、細くキッチリ書かれた文字もありで、何がしかのリズムに合わせて書かれてるのかと思う。
もしくは大事な所をゆっくり書いたのか。みたいな事を想像しながら見ていって、ちょうど半分辺りで、今も頭に残ってる一文字が出てきた。
漢数字の「一」が、今回の展示、全ての中で一番頭に残ってる。
例えば物販で買った「空」Tの空って文字とか、他にも何文字かピックアップされてグッズになってたり。そういう主催者側の選んだ文字もあるんだけど、自分には「一」が一番刺さった。
他の書だと一は最初と最後の筆の置き方が特徴的で、間は最初に筆置いたまま右に伸ばしてるだけ、みたいなのが多いんだけど、気になった「一」はそこが全然違う。
最初と最後はおんなじなんだけど、中間が物凄く細い。そしてゆるい曲線があるの。
ドーム状で、でも極端ではない。平坦に少しのアクセントを、みたいな曲線。
だから、書くときに「書き記された曲線」と「筆を置いてから一度筆先だけになるよう紙から離し、最後には紙に近づいてトメる。動作の中での曲線」という二つに曲線が一文字に出てきてるの。
なんだありゃ。
もうその「一」見て天才かと思った。天才だった。空海じゃねーか!
今の時代だと筆記具と紙の距離ってゼロ距離以外は殆ど無いから、そういう字はほぼほぼ見ない。書道家とか、万年筆とかで見れる・・・?
どっちであれ日常によく出てくる書体じゃないので、もう興奮。
よく使う漢数字の一にこんな表現あんのかよ! みたいなインパクト。
自分でもよく書く文字だからこそ、そう書こうと思ったことすらありませんでした。という完敗宣言。いや、そもそも最初から土俵が違うぞ?
もう見てから頭が「一」の事ばっかり。
メモ帳も持ってなかったので「メモ、メモしたい。他の展示の事メモしておきたい。この一に他の展示が全部ふっ飛ばされそうだから」って思ってたけど案の定吹っ飛んだ。
仏像見る頃には閉館のお時間ですと追い出されてしまったし、一を上書きする物を観察する事ができなかったよ・・・。
いや、他にも方丈記だったり、医心方だったり、平清盛の書とかあって(大河以降のファン。はよ再放送しる)見どころ満載の展示だと思う。
が、今回は「一」に持って行かれた・・・ッ!
なるほど。これが「一は全、全は一」ってやつだな。
やつだな、ではない。
2月ぐらいに仏像の後期展示があるので、もう一度行くつもりではある。
が、その前にもう一度「一」を見に行きたい気持ちもある。
いやまさか、こんな意外な、良い出会いがあるなんてな。
なんでも興味を持って見てみるもんだな。