板書は付きまとう

思いついたことのメモ帳として使ってるので、役に立つ人とは友達になれそう

おばあちゃんは ぼくをわすれてしまったのだ

たかだか二時間の距離なのだが、出不精なので実家には滅多に帰らない。

四半期に一度のペース。用があればそれは別途帰宅する、その程度。

 

前回は正月帰省。両親にあけましておめでとうと挨拶し、叔母と祖母にも新年の挨拶。

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

おめでとう、よろしくね。

 簡単な挨拶。叔母も祖母も元気そうでなによりだった。

 

自分が生まれた頃には祖父母は2人になっていた。

戦中世代なのだ。致し方ない。

父方の祖母も3歳の時に天に昇っている。

父方とは若干疎遠で、だから逆に記憶にあるのだが、祖母の顔までは覚えていない。

人が大勢集まっている居間の記憶。

1つ廊下を跨いだ先の部屋。寝ている祖母。

口水を上げたのは覚えている。ただ、見ているはずの顔は思い出せない。

春の陽気が気持ちよかったのは覚えている。祖母の居た部屋だけ春の暖かな光が入っておらず、残留した冬の冷たさが部屋に滞留していたのは覚えている。

暗かったのだろうか、顔は覚えていない。

 

実感が無いのだ。

人を人と認識する要素のなかでも、際立って個人を認識する部位として顔があると思う。

その記憶が無い。確かに祖母に連なる系譜に自分は居るのに、感覚は断絶している。

 

その後、ありがたいことに親戚一同、死神に好かれた人は居ない。

事故も病気も、それなりの確立が人生に付きまとうが、掴まってしまう人は居なかった。

そういえば、友人もほぼほぼ元気だ。ありがたいことである。

 

あぁでも、時間は残酷なのだ。

人は老いる。死ぬ為に老いる。

そして、死の恐怖から逃れるように、記憶を無くしていく。

惜しむことからくる悲しみは無く。

楽しい記憶から来る別れがたい感情も無く。

自分の娘の記憶以外、おばあちゃんは無くしてしまった。

その事を悲しめるのは、当人以外なのだ。

 

だから悲しい。

1人暮らしの部屋に戻る際、祖母が叔母と共に玄関まで見送りにきてくれたのだ。

握手し、別れの言葉をかけ、また来るよと言って実家の玄関をくぐる。

家に背中を向けて歩き出した自分の後ろ、ドアが閉まるまでの時間が長かったのだろう。

 

「今の人は誰だったっけ?」

 

3歳の頃、父方の祖母からは受けることが出来なかった最後の授業。

人生最大級の悲しみを、ぼくはこれからおばあちゃんから受けるのだ。